LIFE IS AIR.

記憶のカケラ。記録のカケラ。徒然なる日常。

便利さの中の不便。

インターネットが普及して、スマホタブレットも特別なものでもなくなって、すごく便利な世の中になった。

でも、その反面失っていくものもある。

 

例えば『待つ』ということが、昔よりストレスになったのではないだろうか。

タップすれば、簡単にものが買えるネット社会で、アクセスが集中すればサーバーがダウンしてエラーが起こる。

でも、そうなると逆に人々は躍起になって、何度も何度もアクセスしようとする。

結果、エラーは解消されずオンラインストアは一時的に遮断される。

 

お店でなら、どんなに混雑していても必ず順番が回ってくる。

でも、仮想世界では自分の居場所も立ち位置もわからない。

いつ順番が回ってくるかもわからない。

だから人々は、アクセスするのをやめられないのだろう。

 

現代の人々は、怒りの沸点が低いらしい。

つまり、キレやすいということだ。

確かに、昔なら想像もできなかったような、事件事故が起こっている。

 

世の中は確かに便利になった。

でも、人間の心は少しずつ蝕まれていっている気がする。

例えば、小さいうちからスマホタブレットに子守りされている子どもたちは、親になっても同じことをするだろう。

子どものことより自分のことが大切で、怒鳴り散らしてばかりいる親。

子どもが泣き叫んでいても、抱きしめてあげない親。

あるいは、自分の子どもだけが大切で、正しい善悪を教えれない親。

 

便利な世の中になって、未来は明るいと子どもたちに教えてあげたいのに、未来に希望を持てなくしているのは、他でもなく今の大人たちだということをわかっているのだろうか。

 

少しくらい不便な世の中の方が、人間らしくていいんじゃないかと思う。

 

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